2006年という年

比較的変化の大きかった年だと思う。2005年末から始まったインタービューを経て、アメリカで採用され転職した。大学後半から前の会社に入り今の会社への流れは、自分の中ではそれなりの整合性を持っている。おそらく、人によってはころころ言ってることが変わっていると感じている人もいるだろう。大学卒業時期に就職したかったのはプログラマであり、今でもそれは、大きくは変わっていない。その頃は、データベースが何かもわかっていなかったし、どちらかというとC++Javaの半々でコードを書いていた。残念ながら日本ではプログラマのまま歳を取れない場合が多いと感じたし、不思議と地位が低いと感じた(「ソフトウェアの仕様書は料理のレシピに似ている」と同じような考えを感じた)。起業する気概も経済的余裕も無かったので、就職。そして、変革を目指すのではなく逃避を選ぶ事を考え、プログラマとしての地位がそれなりに高いアメリカを目指すことにした。そのためには、英語を何とかしないといけなくなる。それが理由で部署を異動したし、何度か会社を辞めようとしたことがある。結局は、その理由では辞めなかったが。


高校の頃、英語の成績は後ろから数番目、大学では単位を何度か落とし補修、会社入ってTOEICは、300/400点台から始まっているやつが、どうすりゃそのままアメリカの会社に入れるの?という感じだ。色々悩んで、自分の中で得た結論は、「俺には日本で英語をマスターするのは無理」。結局、自分が過去に勉強出来たことって好きなこと、興味を持てる事が多い。人によっては、すらすら勉強を出来る人も居るだろうが、私の場合は、勉強は何度も繰り返して何とかなるレベル。物覚えも悪いから、だいたいこんな感じで覚えちゃう。人より時間をかけて学んだことが体に染み付いているだけ。英語を学ぶことに興味を持てないから長続きしない。それに言ってることが良くわからん。多分、英語を聞けていない。何か仕事で忙しくなると、そこでストップ。しばらく触らなくなって、元に戻る。とは言いつつ、会社ではちょっとづつ英語を使うから、TOEICの成績もちょっとづつは増えていく。でも、それだけ。自由にコミュニケーションできるわけではない。英語が出来る人、きっとその人はそれだけの時間を過去に使ったはず。効率的か非効率かは別にして。


だったら、自分を強制的にその環境に持っていけばいい。経済的に考えるならば、とっても非効率かもしれない。でも、それぐらいしないと自分ではどうにもならないだろうと思う。そのためには、お金を貯めて、仕事しなくても生活できるだけの経済的余裕を持たないといけない。その準備はしていたし、その予定でもあった。今年は、どっかの大学か語学学校に入ってるはずだったのに...。なかなか予定通りには行かないものだ。


今は、ご縁があって(いやほんと、仕事でかかわってどの程度の技術力があるかわかってるから、英語に目をつぶってくれたわけです。今の英語力じゃ、言ってることがあまり理解できないから、面接が会話になりませんて...)、大学の代わりにシリコンバレーじゃないけどアメリカの会社にいる。会社では、英語で予定を調整し...って程ではないが、少しは英語を使う(そのほかは日本語を使うって事じゃなくて、仕事をしているってこと。それほど多くの会話をしなくても仕事になる)。自分の修行の場として迷惑をかけつつなんとかやってる。今やってる仕事がプログラマとしての理想かと言われると困るが、まぁ、これもありだろうという感じだ。


仕事は、コード見てれば何とかなるので、比較的心に余裕があるが、生活は慣れるのに精一杯。やっと車の生活に手を出した感じだ。色々生活していると、銀行とかに電話したりしないといけなくなったりする。最近、やっとなんとなく返せる場面が多くなった。まだ、早口の人は何をいっているのかさっぱりわからないけど、もしかしたら、自分の中で英語に関してすこし成長したかもしれないと12月になって気が付いた。相変わらず、ミーティングでは良くわからないことが多いし、人の話はわからないことだらけだが、自分に向けられた会話は、相手が簡単にいうのか話している筋道がわかるのか、何を言っているのかわかることが多少増えた。しかし、この調子では、来年も似たような状況のままだろうから...。今の半引き篭もり状態は卒業したほうが良いかもしれないね。これは、これで楽なんだが...。